坐禅道場 少林窟
飯田とう隠 (いいだ とういん)老師 について
文久3年山口県で生まれ、19歳で上京し東京帝国大学医科大学(現在の東大医学部)に学びました。
卒業後、駒込病院に奉職しましたが、コレラの流行で治療の甲斐もなく亡くなる多くの人々に世の無常を感じ、安芸仏通寺の香川寛量師のもとに参禅、すぐに印可を受けました。
明治20年 25歳で独立して医院を開業。しかし求法の念やみがたく南天棒・中原老師を訪ね、教えを請いました。
以降、たびたび参禅し師弟の縁を深め、31年 36歳の時、南天棒の印可を受けました。40歳で関西に居を移し西宮で開業、海清寺におられた師を招き医院内で禅会を開きました。
大正6年 医業を休止し布教に従事、各地の禅会を指導して回りました。 そして11年 60歳で小浜発心寺にて出家し埼玉県秩父の東陽寺の住職となり、15年大阪・池田市の大廣寺に師家として迎えられました。
昭和2年 貴族院議員中心の禅会「慧照会」を設立、議長官舎で開講しました。東京・本郷の麟祥院の碧巌録提唱では朝野の名士の来聴が数百人にも及びました。
昭和6年 大阪・高槻に念願の 「少林窟道場」 落成。
「日華事変」が勃発した12年の9月20日に入寂。75歳の大往生でした。
この年の賀状に「思い入る心のうちに道しあらばよしや吉野の山ならずとも」 とその境涯をみごとに詠んでいます。
(※年齢は数え年)
飯田とう隠老師の写真
30歳代
71歳
昭和6年 少林窟建立時 (前列中央)